安定同位体と特殊ガスのタツオカ

研究分野に特化したガスのトータルサポーター、タツオカ。
レスポンスに重点をおいた体制で、シリンダー、キャビネット、配管、装置機能までの供給をトータルにエンジニアリング

安定同位体の歴史

物質の成り立ちは、古くは中国の陰陽五行思想(お寺などの色にも影響を及ぼしています)やギリシャのアリストテレスの「火・風(空気)・水・地(土)」の4元素(さらに、天上世界には,映画にもなった「第5元素 'the fifth element' 」が有るとしていました)によって説明されていました。

その後の物理や化学は錬金術師たちやルネッサンスの影響をうけ発展(?)していきました。
18世紀の終わりに、フランスのラボアジェが燃焼の実験をおこなって、フランス革命の始まった1789年に質量保存の法則を唱えています。ちなみに、ラボアジェは税金の徴収を行っていたので、フランス革命のなか、処刑されています。
それをうけて、イギリスの科学者ドルトンは、物質の成り立ちを化学結合と原子で説明し、もうこれ以上分解できない粒子として原子の考え方を示しました。19世紀になってからの事です。「各原子に決まった質量がある」ともしたのですが、分子の考え方がなかったので、体積比で水素2、酸素1で水蒸気が2できる説明ができませんでした。2 + 1 = 3 ではなく、
2H2 + O2 = 2H2O
というのは、イタリアのアボガドロが分子の考え方を取り入れて、初めて説明できたのです。

放射性同位体の特徴である放射能は、19世紀終わりに、いずれもフランス人で、ウランの放射能を発見したベクレル、ラジウムの発見で有名なキュリー夫妻によって、研究が進みました。放射線としては、レントゲンがエックス線をこの少し前に、発見しています。
この頃、放射線は詳しく研究され、トムソンの電子の発見やラザフォードがアルファ線はヘリウムの原子核であることや陽子を発見しています。また、ラザフォードは放射性物質がα崩壊する事を説明するため、原子のモデルを発表し、それをうけた、ボーアの原子モデルを経て、現在の電子、陽子、中性子を中心にする原子模型にいたっています。これで、崩壊で元素が変わる事や同位体が説明できるようになりました。

トムソンは電子を発見した装置を改良して実験を続け、1913年にネオンイオンの実験で、自然界には重さの違う20Neと22Neの同位体が有る事を発見しています。
人工的な同位体としては、1919年にラザフォードが窒素とヘリウムから酸素の安定同位体170を作ることに成功しています。ついに、錬金術が現実になった訳です。 初期の質量分析

「番外」
1949年に日本ではじめてノーベル賞を受賞した「湯川秀樹は中性子の存在を理論的に予言した」と学校で習った記憶があります。しかし、実際は、陽子や中性子を構成するさらに小さい粒子、素粒子の一つ中間子を理論的に証明して、ノーベル賞を受賞しています。中間子は学校で教えるレベルではなかったのかもしれません。中間子論は戦前の1936年に発表され、戦後になった1947年、セシル・パウエルがパイ中間子を実験で発見しています。

さらに詳しく調べるには、原子力図書館/原子力百科事典/分類検索/構成番号16 放射線と原子力に関する発見とトピックス